story
@建築に至るにはいくつかの理由がある。
今回は、ほぼ偶然の出会いがそれである。
出会いが物語を求め、生み出す。
出会いという偶然を確率的な数字の物語に終わらせているようでは、
真の物語は始まらない。
Aこれまでいくつもの建築に関わってきたが、メディアを通して建築を行う機会がくるとは、
実際の所今まで考えたこともなかった。
今回の企画が通常の建築設計とは、かなり異質であるということは
すぐに想像できたが、うまく理解する事はできなかった。
そしてこれは過大な時間を要する難解な作業であることも、こちらの想像を超えていた。
B自分が建築設計に携わってから20年を迎える。
ここに来て「新しい、何かをせよ」といった風が吹いてくるのを、近頃感じることが多かった。
Cしかし、すぐには物語は動き出さなかった。
建築家の決定も、放送の内容もすべて局の方に任してあったからだ。
番組制作側は、この『中の湯』以外にも物件はあったし、私以外の建築家も
候補にあがっていたからだ。
こちらは、ただ連絡を待つだけだった。
DTV局側からGOサインが出た。いや、出てしまった。
それは旅立ちの合図でもある。
私は真っ白の平原から、山を、海を、風を想像する旅の準備を始めた。
いつもそうなのだが、私の旅支度はかなり軽めだ。
なぜなら、出来る限り頭の中のイメージをフラットにさえすれば良いのだから。
イメージの中にあるデコボコを、自分と何かを結ぶために遮られている
邪魔な壁を整理し、遠くまで、出来る限り遠くまでフラットにする。
注意深く、周りを良く見渡しながら・・・そして、準備は整った。
E次に重要な鍵を開けに出かけた。
廃業し、暗く閉じていた銭湯は、すでに片目をつむったままなかなか私に語りかけてこなかった。
しかし、内部に漂う空気は思いのほか濁っていない。
多くの人との出会いがまだこだましているようだ。
パーティー後のような静かで曇った空気に光をかざす。
「もう一度その老体にむち打って、ダンスをしてみないか?」
私の問いかけにほほえんでくれるには、多くの時間はかからなかった。
その空間には、再び光り輝くためのエネルギーをしっかりと持ち合わせていた。
住人達も、私とは古くからの知り合いだったかのように両手を広げて迎えてくれた。
これから始まる旅は、ことのほか楽しいものになりそうだ。
F計画を進める過程で、キーワードをいくつか探した。
なぜなら、これは番組とリンクした住宅改築のドキュメントであるからだ。
私は、建築デザインと番組メイクの両方からの構成を意識した。
このようなことは、今までの経験の中で無かったことだが、
すべてを束ねるキーワードを見つけられなければ
私は収録の中止を申し出るべきだとさえ思っていた。
また、社会に与える影響力も危惧した。違法な建築として完成させるわけにはいかない。
安全が確保できる最低限の事項はクリアしなければならない。
慎重な現場確認を繰り返した。
G健康的な生活が出来るのか?
コスト、スケジュールの目標とのづれはないか?
それらはテレビ画面を通しても嘘はつけないと信じている。
そのうえで楽しさと美しさを建築デザイナーとして十分に表現しなくてはいけない。
それはまるで、プレッシャーとプレジャーの間の無重力状態を旅するようなものだ。
H大まかなPLANはすぐに導き出せた。
南北に長いこの建物は、北に銭湯の出入口、中央が浴場、南はバックヤードと
住居部であった2階部で構成されていた。
中央部の屋根を取外し、暗くよどんだ空気を空に開放させるべきだと直感的に思った。
そして北部の脱衣スペースに光と風を引込み、生活スペースとしてのリアリティーを導く。
あとはどうにかしてみせる。
そして工事はスタートを切った。
I建築は岡崎の工務店アイコーの全面的なバックアップを得ることができ、
TV朝日の制作スタッフは2名が常駐した。
Jまず取り壊しであるが、これがことのほか時間を要した。
イメージを頼りに壁をはずし、屋根を落としていったが、
中から表れたのは、スカスカの土壁と腐り痩せきった柱であった。
壊し始めると、作業中2〜3E先の視界も悪い程ホコリが立ちこめ、
テレビカメラも作動しなくなってしまった。
作業が進む程難しさを増し、大がかりなものになっていった。
ホコリまみれの工事業者に交じり、テレビクルーも作業を手伝っていた。
普段私は工事そのものには手を出さないのだが、番組であるからだけでなく、
これは指示しているだけではすまない雰囲気であり、出来ることは進んでやることにした。
紆余曲折がありつつも、約2週間を費やしてまず空間を裸にすることが出来た。
Kそこに表れたのは、想像していなかった状況であった。
腐り細くなった柱や土台。押せば崩れ落ちそうな土壁。
柱は上と下で8Bも傾いていた。東西の長い壁は外側にふくらんでいた。
雨水にあたり外壁は削り取られ、人の高さ程のコンクリートブロックの立上りも
安全とは言い難い状態で力無く立っていた。
「柱も土台も交換だ。」ジャッキで屋根を持ち上げながら、
「補強も必要だ。しなやかで強い何かがいる。」
デザインと機能をバランスさせた何かが必要だった。
しかしコストやスケジュールはどうか?
やれば良くなることは分かっていても・・・。こちらの指示や判断だけでは進められない。
施工のアイコーは「先生に付いて行きましょう」と力強く答えてくれた。
Lここでコストを振り返ってみるが、施主からの最初の予定費用は500万(税別)。
全体プランを提出した際アイコーから出てきた見積もりは750万。
これを650万までバランスを取り、いや、アイコーさんに値引きもしていただき、
オーバーした分はTV局の取材協力費として出していただくことでGOサインとなった。
番組内で発表する工事費用としては700万と表示されるはずであるが、まあきついとはいえ
工事だけをとらえた場合まんざらデタラメではない。
工事費を番組内で安く表示することは、社会的にみて不利益であり、建築業界として
良くないと心得ている。
正直に表示すべきだとの個人的見解によるものである。
さて、ここから内装等の工事が始まるわけである。
M番組には放送時間という制約がある。
現場にも時間は流れているし、工事完了の最終ラインも引かれている。
1ヶ月の設計期間と約1ヶ月半にわたる工事をカメラは常に追っていた。
撮影されたビデオは、400時間以上にもおよんだ。
TVで放映されることはないのだが、家具を燃やして色を付けたり、シャワーを照明に利用したり、
古木綿でのれんを作ったり、古い体重計を椅子に変えたり、
古くからあった浴槽を後で壊すことになったり、吹抜のカガミのシャンデリア(実は万華鏡と呼んでいた)
の作成は、アーティストの中島氏の徹夜作業によるものであったり、
我慢強く熱心な現場監督の伊藤氏が、熱を出してダウンしたこともあった。
多くの困難の中ではあったが、テレビクルーや施主の人達とは信頼関係を築くことができ、
実に気持ちよく仕事を進めることが出来た。
でも、疲労が蓄積し、昼食がのどを通らなくなった日も度々あった。
そして、いろいろな作業が完成へと束ねられていった。
N番組のもう一つの重要ポイントであるスタジオ収録が、10月10日に予定通り行われた。
所ジョージさんをはじめ芸能人の方々が、編集された作業風景を見ながら感じたことを話し合う、
そんな様子を私も、施工業者、施主のご家族と共にスタジオ内で見守った。
1時間30分程度の時間だったが、戦いを振り返って見ているような感情が自分の中にはあった。
ホコリをかぶり、自己と会話をし続け、施工業者に頭を下げ、可能な限りロスのない指示を出し、
他の仕事とのバランスをとり・・・
動き回っている自分をモニターで見ながら、そんなことを思い返していた。
Oいつもの様に何かを探していた。
工事的結果をとれば形を造り終えれば仕事は終わる。
しかし、違う物を見据えていた。
向かうべきラインを踏み外さないために細心の注意を払っていた。
この何かに、私は最大の敬意をはらっている。
これが私の向かう方向であるからだ。
いつからだろう、そのことに気がづいたのは・・・。
磁石に沿っていく砂鉄のような強力な形ではない。
かといって無作為に、ランダムに、勝手気ままに動いているようでもなく、
全体としては確実な法則を持っているかのように。
それは、押しては帰る波であり、蜜蜂の生態であり、草木の生える様であり、
鳥たちであり、風であり、光であり、人である・・・。
P建築とは、生活の営みの道具である。
本来これで良いのだ。
風土に見合い、必要に見合ったおよそシンプルな形が集まり町となり、
会社となれば、それで良いはずだ。
Q人と、又は物との繋がりには、美しいと感じさせてくれる瞬間がある。
美しいことを知り、見守っていきたい。
美しい物を信用するし、それは大切な心そのものとも思える。
私にとって生きることや、成長するということは、
すなわち、美しいことを提示できるようになっていくことであり、
美しい感情で人と接し、確認し合うことだと思っている。
R短い物語は幕を下ろしたが、私の旅はまだ終わらない・・・。
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